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転機は海外勤務。うまくいく事に比べうまくいかない事の方が多い日々

前回は調味料の会社で働いていた時のことを書きました。

調味料の会社で営業マンをしていました。それなりの充実していた日々はこちら!

仕事は大変な事もたくさんありましたがそれ以上に楽しいこともたくさんあったのでそれなりに充実した日々を過ごしていました。
長く付き合っていた彼女と結婚もし娘が生まれるのと同時にローンを組み一軒家を買いました。生活に対しての責任感はいままで以上に感じることになりましたがそれも楽しく嬉しかったのを覚えています。

娘の出産にも立ち会うことができましたし、病院に生まれたばかりの娘の顔を見に行くのも楽しかったです。

そんな生活を送っていましたがある時転機が訪れます。
勤めていた会社の海外進出です。

勤めていた会社の海外進出。進出する先はどこ!?

内勤をしていたある日、営業の部屋に社長が入ってきました。
そんなに大きくはない会社なので社長との風通しが良いというのも会社の特徴でした。
あまり余計な稟議などがないので動きが早いのです。

部屋に入ってきた社長が私に一言

今月のどこかで海外に行こうと思うんだけどついてきてくれる?

私はサラリーマンです。
大きくない会社とはいえ社長に直接言われたら「はい!」と返事をするしかありません。

このやりとりが大きく私の生活を見事なまでに揺るがしてくれました。

東南アジアを中心にいろいろな国を視察する日々の始まり。天国もしくは、、、

その日を境に徐々に仕事の流れが変わっていきました。
海外を視察するためにいろいろな国に訪問する日々です。

ここで非常に重大なことに気が付きます

あっ!

おれ、英語しゃべれねーじゃん!

海外行ったことねーし!

結論から伝えてしまうと何とかいろいろな節目がギリギリ大丈夫でした。本当にギリギリセーフ!
それと引き換えという訳ではないですが、今現在まあまあ英語がしゃべることができるようにりました。(TOIECスコアがあがったとかそういうことではないです)

(海外勤務を通して英語を身につけた過程を書いています)
英語が喋れない環境での営業。それが英語を身につけるために必要な環境はこちら!

要素は何個かあるのですがその一つは

海外で営業をするにあたって現地の日本人が結構なんとかしてくれる

これは最初は本当に大きかったです。商談相手も「現地のバイヤー+日本人」というケースやそれに近い形が多かったです。
実際に最初に出たシンガポールの展示会では

What do you do?
(あなたの仕事はなんですか?)

  

自信を持って使える英語はこれだけだったと思います。
しかもパソコンで調べて。当時はググるということもあまりなくてパソコン上での翻訳も今ほど正確ではなかったと思います。

でも実際通じましたし、現地の人たちに自分の喋った英語が通じた!と思えたこともかなり嬉しいということも初めての体験で発見でした。
※この体験がのちに英語で仕事ができる大きな要因になります。

なぜ英語で仕事ができるようになったのか?

とはいえ、お伝えしたように大きい会社ではありません。
私が持っていた顧客を引き継いでくれる人材がいるわけでもなく、、、

月に1~2週間海外、残りが国内

という仕事の流れが確立されていきました。
メールを駆使して、スケジュールを調整し何とか仕事をこなす。胃もたれしてしまう仕事量です。

顧客との折衝、資料作成などなどなど、事務員の方の協力がなければ絶対に不可能な仕事量でした

今考えるとその時の私の思考はクレイジーだったと分かるのですが、当時の私はまったく分かりませんでした。自分のクレイジーさ加減にです。

会社の期待を背負っているオレ!かっけぇぇぇ位に考えていたのだと思います

家族はもちろん大事に思っていました。
しかし当時は仕事が優先人間だったので家族との時間は面白いほど削られていきました。そしてそんな自分を「良」としています。

このときすでにスイッチが入っていたのかもしれない、、、

このスイッチについてはのちに書いていきたいと思います。

初めての海外での仕事の日々。どう感じたのか?

初めて海外で仕事をするのはものすごく楽しかったです。いろいろな国の展示会に出たり、会社に訪問したり。
シンガポールの展示会に出ることができる、タイでバンコクからチェンマイに移動、いろいろな国の企業を訪問したり、香港でタクシーや地下鉄に乗って肉の加工場に訪問したりしました。

また仕事以外でも各国の現地料理を食べることも非常に楽しかったです。現地の通貨に換金することも大きな経験でした。
(おかげでいまも自宅にはいろいろな国の小銭があります)

シンガポール、マレーシア、タイ、インドネシア、香港、ミャンマー。
これらの国をめぐっていました。

ミャンマーはビザがないと入国できないので品川の大使館までビザを取りに行ったりもしました。
それすら楽しいと感じていました。

日本と東南アジアの各国の往復。そんな生活が一年近く続き時間が経過するにあたり進出先の国の候補が絞られていきました。

いよいよ海外進出先が決定。進出する国は?

ミャンマーは最初の段階でなくなりました。現地に工場を建て製造をするという話しも持ち上がりました。実際にミャンマーの製麺工場に訪問し共同で調味料の製造工場を作ろうという話しになりましたが結局は頓挫しました。政治への不安と現地のスタッフへ技術を伝えることができるかということに懸念を抱いたからです。

香港、インドネシア、タイも現地に工場を建てることへの難しさが懸念材料となり候補から外れました。
同時に海外進出をしての事業計画も変更しました。

それはこのような感じです。

【変更前】
・現地に工場を建て、現地で製造をし、現地で営業活動をしていく
【変更後】
・日本の工場で作ったものを自社で輸出入をして、現地で営業活動をしていく
(その国の企業と共同で調味料の工場を建てる。)
※単独で現地に工場を建てるという計画は不可能と判断しました。
なぜ現地に工場を建てることにこだわったかは後ほど説明しますが「ハラル」という認証が欲しかったからです

当初考えていた以上に現地に工場を建てるということはハードルが高かったのです。

無知もここに極まれりという感じでした

本当に無知でした、、、。


【現地に工場を建てることを断念した理由】
・その国の法律と資本
・技術力のあるスタッフ確保の難しさ
・日本ならではの原材料がある

他にもあげるといくつかあるのですが大まかに言うとこのような感じです。

ということで一年近く調査を続けて折衝してきた結論は

【一年近く折衝して得られた結論】
・当面は日本で作ったものを現地に輸入して現地で営業販売していきましょうよ。その商品を売りながら現地の協力会社を探していこう

という結論です。
えっ、たったこれだけ!?と思われるかも知れませんが無駄なことではなかったと思っています。

その理由は各国喧嘩別れした訳ではないので人脈ができ商売相手がひろがった

といった理由があります。

その視点から考えて最終的にシンガポールとマレーシアに絞られました。

そして結果マレーシアに決まったのです。

【進出先をマレーシアに決めた理由】
・マレーシアとシンガポールは陸続き
・マレーシアの方がシンガポールよりも物価が安い(事務所をかまえるのに有利)
・マレーシアに知っている人間がいる
・マレーシアはムスリムの国(ハラルの信頼性が高い国)

この理由でマレーシアに決まりました。

そしてこれがさらに私の人生に大きく関わってきます。

つづき
マレーシアでの仕事を始めました。順風満帆にはいきませんはこちら!

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